フランスの大手自転車情報サイトに、渡邉歩のインタビューが掲載されました
3月18日にフランスのアマチュアレース「トロフェ・デ・バスティド」で2位となった渡邉歩が、フランスの大手自転車レース情報サイト「DirectVelo(ディレクト・ヴェロ)」よりインタビューを受けましたので、その記事を翻訳文でご紹介いたします。
【渡邉歩:常にブラニャックから日(=日本)は出ずる】
近年の日本自転車ロード史を語るにあたって、チーム「GSCブラニャック-ヴェロ・スポール31」(フランスアマ最高峰チームカテゴリー”ディヴィジョン・ナショナル1”チーム)を欠かすわけにはいかない。
世界トップクラスで活躍する日本人選手の多くがフランスから巣立っている事実をご存じだろうか?まずは別府史之(現「トレック・セガフレード」所属)だ。別府は2002年から2004年まで「VC・ラ・ポム・マルセイユ」に所属したあと、当時の世界トップUCIプロチームの一つである「ディスカバリー・チャンネル」へと移籍した日本人プロのパイオニアだ。
そして日本選手を語る上で絶対に欠かせない選手のもう一人である新城幸也(現「バーレーン・メリダ」所属)が、プロへの足掛かりとして選んだのがチームGSCブラニャックだ。新城は2005年にブラニャックで武者修行している。近年では木下智裕(2012年U23アジアロードチャンピオン)が同チームで過ごしたのも記憶に新しい。
そして今期から先人たちの道を辿り、GSCブラニャックに新加入した日本人選手が渡邉歩だ。
<ここで僕の活動諸々を助けてくれる人々には心から感謝しています>
なぜ渡邉歩はこの地域で活動し、そしてこのGSCブラニャックに加入することになったのだろう?
□渡邉歩:「既にこの地域を拠点とするチーム”ラ・バンド”で走っていたんです。その次のステップアップとしてGSCブラニャックに移籍しました。前のチームに居た時よりもレースや練習のレベルが徐々に上がって来ていますが、手ごたえが感じられて気に入っていますね。実はGSCブラニャックと日本とは強い繋がりがあるんですよ。このコネクションはこの地方の自転車競技連盟役員であるドゥニ・ゴンザレスさんと、私の日本での所属チームであるEQADSの浅田顕監督(1990年の日本チャンピオン&多くの日本人若手選手を欧州に連れて来ている人物)との古くからの繋がりから芽生えたものですね。僕の他にも少数ながら日本人選手がこの地方に来ていますよ。我々はフランスのアマチュアレースで修行してのし上がり、世界のプロへと勝ち上がることを目的として活動しています。」
「現在ボクは、GSCブラニャックが拠点とするブラニャックから30分程離れたオートリ―ヴという町にあるEQADSチーム拠点に住んでいます。」
渡邉は目下、選手活動と並行して滞在許可証の取得にも奔走している様だ:
□渡邉歩「今は労働許可ヴィザの取得手続きをしていますが、これが非常に複雑な書類などが必要な感じでして・・それ以外のフランスでの生活は素晴らしい限りですね!ここで僕の活動諸々を助けてくれる人々には心から感謝しています。フランスに来るからにはレースを始め、多くの事を学べると期待していましたが、それが今、正に叶っていますね」
<次は勝つ!>
自転車レース好きの両親の影響で、若い時からこの世界に身を置いて来た渡邉の夢はなんだろうか?
□渡邉歩「子供のころに”ツール・ド・フランス”総集編映像をTVで観たんですよ。その影響で10歳の時からずっとヨーロッパに来て、テレビに出てた選手みたいになりたい!と夢見ていたんです。」
子供のころからの夢を追いかけて突き進む渡邉は、3月8日に20歳の誕生日を迎えたばかりだ:
□渡邉歩「まず新城幸也選手や、別府史之選手と同じレベルまで到達したい。彼らからは多くの事を学びました。我々日本人選手が世界を目指すにあたって、日本国内の活動のみでは行き詰ること必至です。ボクはフランスに来て、自分の居場所を獲得したい!、と常々思ってきました。その為にこの地に来ましたし、今現在も常に居場所を勝ち取るために活動しています。」
福島から50㎞南部にある郡山という町からやってきた日本の若者は、「トロフェ・デ・バスティド(3/18)」にて、ステファヌ・プイエスには負けたものの2位入賞の快挙を果たす。
□渡邉歩:「勝利が目前で潰えるのを見るのは辛いことですが、それでも素晴らしい経験でしたね。ステファヌとの一騎打ちでは、多くの経験値を得ましね。負けはしましたが、次は勝ちますよ。経験を積めば積むほど、自分が強くなっていくのを感じますね。」
渡邉歩は今後la Kattekoers ヘント=ウェヴェルヘムU23に日本ナショナルチームメンバーとして出場する。渡邉の活躍に期待したい。
以下原文となります: